プロフィール

雪深い東北の寒村から上京、土建屋で働いていました。

恥の多い人生を送って来ました。

ぼくの幼児期、児童、思春期あたり、誰がどう見ても変わりものだったでしょう。

こんな変わり者でも、野垂れ死にしないでいままで生きてこれたのは、
ぼくのことを、【信頼】してくださった親(特に母親)のおかげさまということを、今身にしみて実感しています。

親はいつまでたってもいい歳こいた息子(タスケのことです)を、まだ児童としてみていますから、いつも心配しているんです。
これが親心、ありがたくて涙ができてきます。

これまでの人生のなかで、履歴書を書いたのは3回だけです。
あまりにも書くことがないので、資格のところに『そろばん八級』と書きました。

……鼻で笑われました。

ぼくには、履歴書に書けるような資格とか経歴など、まったくありません。
なので、ほんとうは、「名乗るほどの者ではありません。」

と書いて、ごまかして終わりにしたいくらいなのです。

が。

他人さまのブログに訪れたとき、プロフィールがないと、なんだかさびしい心持ちになったことがありました。

ので。

経歴もない 資格もない、夢もチボーもない!こんな僕ではあるけれど(Get Along Together)
これまでの人生の振り返りながら、一所懸命書かせていただくことにしました。

それでは、タスケ劇場、じっくりご堪能ください。

 

 

保育園に初めて行った日のことです。

ちゅーりっぷ組のタスケちゃんは、一つ上の遊び友達(よっくん)が、すみれ組にいるので、
先生のお話を聞かないで、ちゅーりっぷ組から抜け出して、よっくんのいる、すみれ組に行きました。

ちょうどよっくんの隣のイスがあいてたので、よっくんの横に座ってニコニコしていました。

すると、ちゅーりっぷ組の先生がすっ飛んできて、タスケちゃんを連れて行こうとしました。
タスケちゃんは、「やんだッ!やんだーッ!」と激しく抵抗しました。

先生は、タスケちゃんをひきずって行こうとしたので、さらに激しく抵抗して、鬼のように泣き叫びました。

お友達のよっくんと一緒にいるのがなぜいけないのか、まったく【理解できなかった】からです。

やがて先生はあきらめて、その日タスケちゃんは よっくんのとなりで一緒に過ごしました。

先生に反抗していたわけではないのです。お友達のよっくんと一緒にいたかっただけなんです。
ただそれだけの理由なんです。たんじゅんな動機なんです。

お迎えに来た母親に、先生が忠告したようです。でも、母親はすみれ組に行ったことについて一言も咎めませんでした。

その後数日くらいしてから、【自発的に】ちゅーりっぷ組に戻りました。
しょうこちゃんという可愛い女の子がいたからです(笑)

 

両親と妹と屋上遊園地があるデパートへ行ったときのこと。

買い物をしたり、観覧車に乗ったり、食堂でお子様ランチ、洋食を食べるのが楽しみでした。
当時のレジャー施設といえば、デパート。休日は、家族そろってデパートへお出掛けするのが贅沢だったあの頃のお話です。

ぼくも妹も、普段は着ないような服を着せられて、汽車で1時間かけてデパートへ。

行く数日まえ、えんじ色のカーデガンをあてがわれたのですが、赤系統は『女の子の色』という固定観念があったので、
「やんだッ!」と秒速で却下。※せっかく買ってくださったのに、非道いことをしたものです。
それで仕方なく、『男の子の色』ブルー系統のカーデガンに変更。

帽子も買ってくださっていたのですが、どうにも違和感があり、帽子を被せられてすぐさま脱ぎ捨ててしまいました。

それでも秋の日差しとはいえ、直射日光を浴びせるには忍びないと思っていたのでしょうか、母親はハンドバックのなかにソッと忍ばせて持って行きました。

駅について、デパートへ向かう道すがら、母はごく自然にぼくに帽子を被せました。
子どもながらに、最初は気をつかって、いやがる素振りも見せずにいい子ちゃんにしていたのです。

が。

「帽子なんか被りたくないやい!」

心の叫びがだんだん大きくなり、怒りの感情、ずんずん湧いてきて、どうにもこうにも我慢できなくなったのです。
矢も盾もたまらず、ポイッ!と道端に脱ぎ捨て、そのままスタスタ前に歩いて行ってしまいました。

慌てて帽子を拾う母。無言でまた帽子を被せてきました。

今度は0.5秒で脱ぎ捨て。

拾ってホコリをはたいてまたかぶせようとした!

瞬間、帽子を腕で払った!

で、とうとう母親はあきらめて、帽子をハンドバッグに戻しました。

せっかく似合うと思ってかった帽子を瞬時に脱ぎ捨てられるのですから、それはそれはとっても悲しかったと思います。

ぼくは、【お仕着せ】というものに、どうにもこうにも耐えられない性分です。
いまでも、押し付け押し売り恩着せがましいことには、超過敏に反応してしまいます。

その後は、帽子を被せようとすることもなく、お目当てのデパートにつきました。
屋上遊園地で遊んで、食堂でオムライスをたべ、メロンソーダーを飲み、あの楽しかったひとときを今でも鮮明に思い出すことができます。(食堂のニオイまで)

古いアルバムでは、屋上遊園地の望遠鏡のまえて帽子をかぶったタスケちゃんがにこにこ笑っています。
きっと【自発的に】帽子をかぶったものでしょう。

ぼくの母親は、決して枠にはめようとしなかったこと、押し付けなかったことが、とてもありがたく、ここまで生きてこれたと思います。

もし、母親が

『すみれ組さ行ったら、ダーメだべ!』
『(えんじ色の)カーデガン、ちゃんと着ろ!』
『ちゃっぷ(帽子)ちゃんとかーぶーれー、このッ!』

なぁんて、押し付けがましいことをしていたら、ますます反抗心に火がついて、世捨て人かアウトローになっていたと思います。

 

土建屋時代

青春時代は、現場施工管理者(現場監督)として建設会社で働きました。
事務所では施工図を書いたり積算したり、現場では泥とコンクリにまみれながら一所懸命働きました。

資材置き場の一角に立てられた、寮というのは名ばかりの、タコ部屋みたいな寝座で青春時代を過ごしました。
休みは盆暮れしかなく、田舎から上京するとき買った*一張羅のスーツは、ほとんど着る機会がありませんでした。
*一張羅(いっちょうら)一着だけの上等な衣服

現場詰め所では、仕事が終わると毎日花札やちんちろりんなどの博打が繰り広げられ、半ば強制的に付きあわされました。
一回の賭場で給料まるごと負けることもありました。

ヤクザかぶれの上司は、機嫌が悪いと怒鳴りちらし、言われたことをやらなかったり、思い通りにならないとすぐ手を上げる人でした。

メガネの上から殴られたこともありました。とにかく、質問しても怒られるのです、殴られるのです。

 

土建屋から足を洗うまで

気に喰わないことがあると、すぐ暴力を振るう上司がいたり、
銀座のクラブに飲みに連れていってくれた上役から、あとで飲み代請求されたり、
退社時刻が過ぎると花札やサイコロ賭博場に変わってしまうような、そんな変わった職場でしたが、

がぜん、ヤル気が出てきたのは、ひとつの現場を『現場代理人』として任されたときからでした。

『現場代理人』をざっくり簡単に説明すると、社長の代理として現場を管理運営するお役目のこと。
なので、ひとつの現場を赤字にするも黒字にするも現場監督次第ということになります。

新米の頃は、暴力上司から殴られ蹴られながら、【やらされて】きましたが、
現場代理人は、現場の経営者として全体を管理運営していかなければなりません。

その頃の土建屋は、談合などあたりまえ、どんぶり勘定で現場をまわしていたような時代でした。
そんな土建屋が利益をあげるために、下請けさんを叩くだけ叩くという、まったくもってノータリンなことをやっていたのです。

そんな悪習をカイゼンし、利益もあげる。
自分で現場を切り盛りできるのが、うれしくてうれしくて……
もうブラック企業いじょうに、まっくろになって働きました。

やらされるより、【自発的に】ものごとに取り組んだほうが、成功するということを身を持って体験しました。

遊びたいさかりの青春時代、土建屋で過ごした日々は、いまから思えばよい修行になったと思っています。
建設会社には7年間勤め、円満退職することができました。

 

告白すれば、実は……会社命令で談合工作員として都庁に行かされたことがあります。
なにをなにしてナニしたのかまではいえませんが、談合の片棒を担いだことは事実です。

当時は、新米で意味もわからず言われたことを愚直に実行しただけなのです。
しかし、知らなかったとはいえ、犯罪行為に加担してしまったことは明らかです。

ここに懺悔します。
本当に申し訳ございませんでした。

 

 

精神世界放浪時代

この頃からチョッと精神世界にさ迷うことになります。
精神世界に旅立つのにお金はまったく必要ありませんが、煩悩うずまく肉体を維持するにはオマンマを喰わなければなりませぬ。

土建屋時代は、『生きる為に喰ってるのか、喰うために生きてるのか』
(仕事のために力つけるためメシ喰ってるのか、メシ喰うために仕事してるのか)
などと考えていたものですが、
現場の仕事から足を洗ったあとは、『肉体生命を維持する糧』を得るために、
とりあえず、『訪問販売』の仕事をすることになりました。

そこにもタコ部屋のような寮のようなところがあり、そこで住み込みで働きました。
朝と夜の食費と寮費は会社が負担してくれるということなので、とりあえず喰う寝ることには困らない。
日中、セールスしてあるけば、アフターに精神世界の探求ができるな、ウシシ……と思っていたのです。

ところが、どっこい!

一日の全体目標を与えられ、目標達成するまで帰ってくるな!という厳しいノルマがあったので、深夜までセールスしてあるくということもざらでしたし、公園で野宿することもたびたびありました。

それに、休みがほとんどなく、年末年始に少しと、あとは申し出て許可が出たら休みをとれるというような、今どきのブラック企業が可愛く見える、魂まで吸い込まれるような超ブラックホール企業だったのです。

訪問販売員時代には、おぞましくも、禍々しい、強烈な体験をしました。

便利屋時代

その後、新聞配達、行商、清掃員、廃品回収、債権回収、地図の調査員、探偵、占い師、マルチ、雇われ社長……など。
他にもここには書けないようなさまざまな仕事を経験しました。

でも、人から使われるのはどうも性に合わないナ、と。
そこで独立自営の道を歩もうと思いたち、便利屋(なんでもや)を始めることにしました。

 

『困っている人の手助けをしたい』という思いから、便利屋タスケという名前をつけました。

とにかく『なんでもやります!』というスタンスで、依頼されたものはほとんど断わることはしませんでした。
よい人生経験になると思ったからです。

誰に頼んでいいのかわからない、誰に相談したらいいのかわからない……
そんな人の手助けになりたくて始めたのが便利屋でした。

・浮気の現場を押さえてほしいという探偵の依頼
・アヤシイ団体の潜入調査
・ストーカーのようなカレシと別れたい(今でいう別れさせ屋)
・息子がカルト宗教にハマってしまった……などなど
※ここには書ききれない興味深い便利屋時代のエピソードがありますので、当ブログでおいおい紹介したいと思います。

 

知らぬ間に連帯保証人になっていました。

困っている人のタスケになれば、と身を粉にして働きました。

脇目もふらず、がむしゃらに働いたのは、あることがきっかけで、知らぬ間に保証人になってしまっていて、多額の借金を背負ってしまったからです。

まったくのお人好しで世間知らずでした。
保証人になっているということがわかったのは、債権者からカネ返せ!の怒声電話があったからです。

寝耳に水でした。

その後、次々と複数の債権者からの電話、また内容証明郵便、そしてしまいには家にまで押しかけてくる(チョッと気が狂っているような)債権者まで現れました。

ぼくが仕事で出かけているとき、妻が幼い娘の子守をしながら宛名書きの内職しているところに、債権者が押しかけてきたりしました。
妻は精神的に弱いたちですから、毎日怯えて暮らしていました。

妻子には本当に迷惑をかけてしまいました。

なりふり構わず、カネカネカネ……借金を返すために、カネばかりを追い続けました。

で、ようやく借金返済の目処がたったころ。
今度は妻との関係が上手くいかなくなりました。

今まで、家庭を顧みず、カネばかりを追いかけてきた自分を反省し、心を入れ替え仕事に励んだのですが……

 

 

取引先の社長がトンズラし、600万円の売掛金だけが残りました。

収入源が絶たれ、当面の生活費はサラ金でまかなうようになりました。
借金が、どんどん増えていきました。

またゼロから便利屋を立ち上げる気力もなく、とにかく職を探そうとハローワークに通いました。
なかなか仕事が見つからず、酒に逃げたりして自堕落で恥の多い生活を送ってきました。

そうこうしているうちに、知り合いから電話があって、パソコン出来る人を探しているとの事。
早速、面談に行き即採用されたまではよかったのですが……
結局、その会社は半年で倒産。しかも給料未払いでした。

 

人生のやり直しをネットビジネスからスタートしました。

無一文どころか借金を抱えた状態で、人生を再スタートするにはネットビジネスしかないと思いました。

ヤフーオークションから始まり、
楽天アフィリエイト、せどり、アドセンス、
Youtubeなど、試行錯誤を繰り返しながら、紆余曲折を経て
現在はネットビジネス一本で生計を立てられるようになりました。

ここまで来るには、一人では無理でした。
自己流ではいつか壁にぶつかります。
自己流でもある程度稼ぐことができますが、なかなか安定しません。

ネット上には無料で教えてくれる先生や教材もあります。
でもそれだけで稼げるようになる人はまずいないと思います。

経験からいえば、無料の情報を漁っているうちは、ホント芽が出ませんでした。
実績を上げ続けている人から教えてもらうのが一番のショートカットです。

自分の場合、今まで一人親方の期間が長かったので、ぜんぶ一人でやってきました。
でも、それは大きな間違いだった……
ということにやっと気が付いたのです。

何事も、自己流では限界がきます。
実際に稼いでいる人から教えていただき、現在にいたります。

両親はじめ、親戚縁者、兄弟姉妹、妻子、知人友人に迷惑をかけた恥の多い人生を送ってきました。
これからは、今まで迷惑をかけた人や、助けてもらった人への恩返しの人生を送ります。

こんな僕ではあるけれど♪(Get Along Together)あなたのタスケになれば幸いです。

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