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本田宗一郎はなぜ自分の葬式をしなかったのか

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HONDAの創業者、本田宗一郎。
その人気は現在でも高く、若手エンジニアが憧れる人物として、堂々の1位に輝いています。

昭和3年、静岡県に小さな自動車修理工場を開業した宗一郎、たった一代で、世界のHONDAに成長させました。
平成3年、84歳でその生涯を終えた宗一郎。
生前彼は周りの人に、「自分の葬式はやらないで欲しい」と遺していたそうなのです。

本田宗一郎が自分の葬式を出したくなかったやさしい理由とは?

本田技研工業広報部:中村勉さんはこう語ります。
宗一郎が生涯を通して守り抜いたのが、「人に迷惑を掛けない」ということ。
その思いが、こんな言葉を遺したのです。

「クルマ屋の俺が葬式を出して大渋滞を起こしちゃあ申し訳ない」
自分は自動車メーカーの技術者であり経営者、そんな自分の葬式に万が一、多くの人が駆けつけ、道路が渋滞してしまったら申し訳ない……
葬式を出したくなかったのは、「渋滞によって人に迷惑を掛けたくない」という優しい思いからだったのです。

中村さんはさらにこう語ります。

「気配りと思いやりの人だったと聞いています。
世の中のお役に立てるようにと思って作った自分の製品が、逆に渋滞を起こすことによって世の中に迷惑を及ぼすというのは絶対やってはいけないことだと、そういう思いから、葬式はしないでくれと言ったんだと思います。」

『素晴らしい人生を送ることができたのも、お客様、お取引先のみなさん、社会の皆さん、従業員の皆さんのおかげである』(本田宗一郎)

常に感謝の思いを忘れなかった宗一郎は引退後、2年半をかけて全国行脚の旅へ。
当時全国に700ヶ所以上あった営業所や工場の従業員一人一人にお礼を言うためだったのです。

その時訪れた小さな町工場で、こんな心温まるエピソードが……

宗一郎に気づいた整備士が、握手を求め駆け寄ったのですが、素手で作業していた整備士の手は油まみれでした。
宗一郎は、手を洗ってこようとした彼を呼び止め、
「いいんだよ、その油まみれの手がいいんだ。」
そう言って、整備士の手を両手で包み込みました。
宗一郎も小さな修理工場の出身、この油まみれの手がHONDAという会社を支えているのだと、涙ぐんだそうです。


[画像出典:2015年12月15日放送「優しい人なら解けるクイズ」]

本田宗一郎の名言

日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
私の現在が成功と言うなら、私の過去はみんな、失敗が土台作りしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。
私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。失敗のない人生なんて面白くないですね。歴史がないようなもんです。

人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。拝む心がなければ人は動かない。つねに素直に。

社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。

私は自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。

通産省に言われたことと全部反対のことをやってきた。だから、ホンダの今日がある。

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